二宮和也36歳の誕生日によせて〜サンキューって生まれてきてくれてありがとう〜
私が二宮和也に出会ったのは2006年初頭。
KAT-TUNという時速200キロの豪速球が世に放たれるギリギリ寸前。
当時「野ブタをプロデュース」にどハマリしていた私はニワカKAT-TUNファンになり、生まれて初めてアイドル誌を買った。
年頃の男の子たちが様々な質問に真面目に答える誌面の中、ひとりだけ変なヤツが居た。
質問には答えず、訳は分からないけど面白い独自の理論で煙に巻いてくる(最終的に笑っていいとものうきうきウォッチングを歌い出したと思う)
「なんだこの変なヤツは…」
それが二宮和也の第一印象だった。
でも、なんか気になる。
立派なジャニオタになった今、私にとってアイドルは推す対象であり恋愛感情は皆無だが、当時10代だった私にとってニノちゃんは完全に初恋の人だった。
単純に恋に落ちたのだ。
ファンになった早々自担が映画撮影のため渡米し日本から居なくなるという事件が起きたが、ニノちゃん帰国後2006年5月17日にリリースされた「きっと大丈夫」で二宮ファンから嵐ファンになった。
アメリカから帰ってきてすぐMステで披露した「きっと大丈夫」が衝撃的なパフォーマンスだったのだ。
帰ってきたニノちゃんと、帰国を喜ぶメンバーの嬉しくてしょうがないニッコニコの笑顔が弾けてた。
アイドルがファンに向ける笑顔じゃなくて、心がウキウキしてしょうがない、溢れてしまう笑顔だった。
ニノちゃんの目がキラッキラしてた。
あまりにも楽しそうに歌う5人が衝撃だった。
こんなにも楽しそうに歌う人たちを見たのは後にも先にもこれっきり。
ビデオテープが擦り切れるほど見た。
当時深夜にやっていたレギュラー番組「Gの嵐!」のおバカ実験コーナー「Aの嵐」で様々なものをぬか漬けにしよう!の回もニノちゃんが帰国後まもない収録で、目がキラッキラしてとにかく皆楽しそうだった。(この回はDVDに収録されているので是非見てほしい)
グループとしても好きになって転がるようににのみまにあになり、ジュニア時代からの切り抜きをオークションで集めて、DVD・アルバムを遡って買った。
そして2007年2月「Love So Sweet」リリース。
「きっと大丈夫」は予約しなくて普通に買えた初回限定盤がどこにも無かった。
その後の嵐の活躍はご存知の通り。
今私が好きなものはニノちゃんのお仕事を通じて出会ったことばかり。
蜷川さんも倉本先生も蒼井優ちゃんも鉄コンもジャニーズも。
ちょうど二宮ファンになった頃、ノイローゼになり精神科にいったりして人生の転換期だった。
怒涛の毎日を生きる中、一生懸命、楽しそうにお仕事をするニノちゃんに、嵐のみんなに、どれだけ元気をもらったか。
嵐の美しく前向きな心に、どれだけ勇気をもらったか知れない。
もしもニノちゃんに伝えられるなら、言いたいのは「ありがとう」だけ。
感謝しかありません。
それは、ニノちゃんが一点の曇もない真心でアイドルという仕事に向き合ってきたから。
これからもずっと嵐ファンです。
2019年6月17日